妖怪バカ*1に会いにいってきました

昨日、姫路に京極夏彦が来るということで友達と連れ立ってはるばる行ってきました。
自分は灘区に住んでるので新快速使えばそんなに遠く感じないのですが、神戸市の端っこの方に住んでる友達曰く、「ちょっとした旅行」と。
ただ、自分含めて3人で行ったんですが、そのうちの一人がそのイベントの抽選に外れてしまうという残念な事態に。
「その間は姫路観光でもしてるよー」とか言われてかなり申し訳なく思ってたんですが、当日盛大に遅刻しやがりまして同情もどっかに飛んでいきました。

京極氏が来るのは、現在兵庫県立歴史博物館で開催されている「妖怪天国ニッポン―絵巻からマンガまで―」という特別展の一環とうことで、まずはその展覧会に、と思ったんですが、前述の友人が遅れてくるのを待つために他を回っとこうという話に。
まぁ、姫路で他といえば選択肢はこれしかなく。

そう、国宝であり世界遺産でもある姫路城。別名白鷺城*1
ずっと友達と一緒に「ちっさ!姫路城ちっさ!机に置きたい」などと言いながら歩いてました。それくらいイメージとは違って小さい。

でもさすがに見上げると大きい。

今ちょうど小天守の特別公開をやっているということで、そこそこの人出。


天守閣まで登らせてくれる。姫路市内を一望できます。

千姫と誰か(失念)の人形。良く見ると埃とか溜まってる…。
暗い時分に見たらちょっとしたホラーです。

姫路城でお腹いっぱいになりつつもその後妖怪展へ。

正直、博物館の展示ということであまり期待はしてなかったんですが*2、これは大当たりでした。
もちろん大きなテーマとして「妖怪」というのがあるわけですが、その見せ方が多様で上手い。
浮世絵あり、漫画あり、胡散臭い剥製あり。あと、京極氏の本のカバーイラストにある模型(張子)もあって感動。張子とは思えない質感でした。
老若男女問わず楽しめる展覧会ではないかと。
個人的に良かったのが歌川国芳国芳の作品と並べて、同じ構図の弟子筋の人の作品も並べてあったんですが、それを見ると国芳の凄さが際立つ。迫力が全然違いました。

これは図録を買って帰らねば、と思ったんですが、一般書店にも売ってるということでAmazonで注文しました。ポイントつくし。

その後はいよいよ京極氏のトークイベントへ。
何でも320名定員のところに800名を超える応募があったとか。さすがは京極夏彦


お話は妖怪という分類がどのように発生したかということから始まりました。
妖怪という分類ができたのは民俗学が「訳の分からない出来事」に名前を付けて分類するために出来た括りであって、江戸時代ではそれぞれが単体で存在していたとのことです。河童は河童。ろくろ首はろくろ首。
京極氏は「妖怪」はプロダクションのようなもので、江戸時代の「河童(など)」はピン芸人のようなものだとか。

また、同じ現象でも地域によって名前が違う(例:見越し入道)ものがおり、それらは情報交換が発達した都市部で統合されたんですが、その統合される前のバラバラのものたち個別にイラストを付けたのが水木しげる氏らしいです。だから水木氏の妖怪はやたらめったら種類が多い。京極氏曰く「そりゃ毎週鬼太郎に倒されるんだから、弾はいくらあっても足りないよね」と。


個人的に印象に残ったのが、その後の粋と野暮についての話。
江戸時代、「野暮と妖怪は箱根から先」という言葉があったそうです。まぁ江戸っ子が田舎者を揶揄する言葉だったんですが、なぜ妖怪が入っているのか。
当時妖怪というのは黄表紙狂歌なんかに良く使われていた*3
それらの中には妖怪の絵が描かれているわけですが、別に怖いものとして描かれていたわけではない。例えばまた、見越し入道の例ですが、塀の傍に見越し入道が描かれている絵がある。そこで物を知っている人は「ああ、見越し松のパロディね。この塀の中の家には女が囲われてるんだなw」とクスっと笑うわけです。でも何も知らない野暮な人は「うわ、なんだこいつ。こえー」となる。
だから「野暮と妖怪」のセットが生まれた、と。
当時は妖怪は怖いものではなかったていうのが新鮮でした。妖怪と怪異を結びつけるのは割と最近の発想なんだとか。


こんな感じの話を90分間に亘りしてくれました。途中でいったんもめんのイラストを書き出したり、「この世には不思議なものなど何もないんだよ」と言ってくれたり*4、聴衆を楽しませようとしているのが感じられる良い講演会だったと思います。噂通りの和服で手袋嵌めて登場してくれたし。

*1:しらさぎ」ではなく「はくろ」と読むのが正しいそうです

*2:国立以外の博物館で当たりと思ったことがあんまりない

*3:黄表紙は当時の青年コミックみたいなもの、狂歌は滑稽味や社会風刺を取り入れた短歌

*4:ファンサービス?w